宇宙は何色 tefutefu38

日々の暮らしの中で

 感謝


昨日 プログを書き終えてから、ベッドに入ると
右腹腔から、深い哀しみのようなエネルギーが登ってきました。
それとともに、右目からじっとりとした涙がこぼれてきます。
映画のデザートフラワーに何か触発されて、深い哀しみが浮かんできたようです。

いつもなら、ここでエネルギーを解放するために、プロセスワークを
するのですが、夜中の三時過ぎだったので、手を当てながら寝ました。
「女性性のいたみなら、左側に出るのに・・なぜ右側たんだろう?」
と 思いながら

翌朝、クライアントさんがいらっしゃる前の準備のお祈りをしていて
印をくんだときに、「こうして印をくめてありがたいな」 と
心から思いました。そこから感謝の気持ちが止めどもなくあふれてきて、
お経が涙声になってしまいました。
あふれる涙の中で「終わった」という思いとともに
「ここは、私にはとても重荷だったんだ」そう気がつきました。


いらっしゃった事のある方はご存知ですが、私はセッションをお堂でしています。
この場所は、少なくとも三百年は建っていてお墓はないのですが、
観音様がいらっしゃる、江戸時代は寄り合いで冨士講のお祈りをしたり、
和尚さんが庵をくんでいた場所です。

約20年前になりますが、縁あってここにすむ事になったとき
何故だか「この場所をひらかなければいけない」
強くそう思いました。
当時の私は、身体が弱く子供も赤ちゃんで、クリスチャンだったので
仏教に関して何の知識もなく・・・

とてもつらい道のりでした。つらい事の原因がここに住んでいるせいにも思えて
何度も出て行きたいと思った事や、一年くらい泣きながら祈っていたこともありました。
でも、今日 その過程のすべては修行で 観音様の導きでここまでこれた。
今の私があるのはその道のりのお陰だ、思えたのです。


デザートフラワーが砂漠の中で 転がりながら 形をなしていくように
砂粒ほどの私の信仰心は ここに住む事で形をなす事ができたのだなと。


ブロックや痛みは、消えて行くときに・溶かす事が出来たときに
その奥にあるギフト・真実や光・愛が姿を現します。
痛みのあるところに宝物があるといいます。

昨日の哀しみは、この二十年来の痛みだったのだと解りました。
今日はクリスマス。プレゼントは私の許しと再誕生です。