フィールドの記憶 トラウマ 2
《 前回の続き 》
ルームシェアを続けながら、私は、私自身のこの圧倒された感じや不安感
身の置き場のない感じが、何処からくるのかを探っていきました。
思い至ったのは、働き者の母や叔母たちとの関係でした。
私は 幼いころからボッーとした子供で、一人でいるのが好きでした。
そのため 気が利かなくて、よく働く周りの大人から 叱られていたのです。
幼い私には その急に怒られるタイミングと理由が理解できなくて
無意識下にイメージと結びついた 恐怖となって身体に蓄積・記憶され
それが、よく動く友人の姿に 誘発され
このままだと不快な事が起きる→怒られる・怒鳴られる・・ と
身体がかってに反応して 圧倒され 不安な感じがうかびあがってきたのです。
そして、身の置き場のない感じは、その第一の要因への対処として
幼い私がとっていた 行動にありました。
自分のペースでいると 嫌な目に遭う、とイメージ的結論を持った私は、
他者といるときに その人の行動の邪魔にならないように自分をあわせて
行動をしてました。
それが 生活空間や時間を共有する場合に自分のペースがつかめず、
自分の行動が後回しになり、よけい動けなくなる。
居場所がなくなり遠ざかる・・・
という仕組みになっていたのです。これは、今回のルームシェアに限らず
程度の差こそあれ普段の生活でも 集団でいるときは あらわれていました。
そして、大人になってからは その悪循環が嫌で、ますますグループが
苦手になり、それを避ける為に一人で行動するようになってました。
いやはや でした。これに気がついてからは、なるべく自分の中心にいて
自分のしたい事を、するようにしました。そうすると、自分のペースや
居場所を 感じる事ができてきました
自分の居場所やペースを放棄しているのは、自分自身なんだな。
と 改めておもいました。
また、グループの中で 他者にあわせようと気遣う事で、私という人間が
周りの人から見えなくなり解りづらくうつってしまう・・・という、
私のシステム化されたサイクルにも気がつきました。
なるほど、思いが伝わらずに誤解されやすいはずだ・・・・と。
《さらに次回へ続く・・・・》
もうちっとおつきあいくださいね。 (^_^)