宇宙は何色 tefutefu38

日々の暮らしの中で

 同胞の死を悼むには


今日はグループワークの初日でした。
発表の機会があったので
ニーバの祈りの紹介とともにやりました。

お祈りを読み上げていると
たくさんの方が、同じように祈りを捧げいるのを感じました。
祈りの磁場を直接感じたのは、初めての経験でした。


祈りを捧げるという事は、こんなに多くの人が祈り、希望の灯をともし応援をして
くれているのを感じる事でもあるんだ。一人じゃないんだと、感動しました。


それともうひとつ。ずっと隠れたテーマだったのですが、私は魂のパターンとして
ネイティブやアボジリニのように不条理な目にあった痛みと悲しみを持ってます。


この痛みに対して、そのときの私の対処法は泣き崩れ、動けなくなる事でした。
怒りの感情や悔しさ恨み。悲しみの感情の渦の中で 宇宙や神に怒りどうする事も
できない場所にからめとられ、痛みを終わらせる事ができなかったのです。


その痛みを乗り越えて、再生していくことは、仲間を見捨てる事に通じるような
間違ったイメージを無意識にもっていたのです。それが、フィールドに記憶され
依存症として現れていました


ところが、今回、みんなの前に一人できちんと立ち 祈りを捧げたとき
それらの痛みと悲しみが解けて行くのを感じました。


終わらせて立ち上がり再生することを選ばないから、時をこえて痛みが続き、
終わらないから失った同胞を悼めない。一人で立ち上がり歩むとき 初めて
同胞の死がいためるのだ  解りました。


発表するスタイルが 私の魂のパターンと同調して 自分の癖を体感できて
時空を超え 何世にも渡る 長い長い 引っかかり がほどけて行くのを感じました
緩やかなエネルギーの流れを取り戻した日でした。


宇宙に駄駄を捏ねるのを止めた日ともいえるかもしれません。