宇宙は何色 tefutefu38

日々の暮らしの中で

 魔法はない  ~その2


何故か秋の小道です。丁度なスナップ探せませんでした。



今回の勉強会で、私が焦点を当てていたのは、
「人前に立つのが、何故こんなに嫌で危険に感じるのか」
ということでした。意外でしょ?  笑



さすがに、50才を過ぎた大人なので、必要があるときは
何気ないふりをして?立ってますが、人の前に立ってしゃべるのは、
内心、居心地悪いこと極まりないのです。



そこで ワークショップをファシリテートしていくにあたり
自分の中で、その時何が起きているのか?を知っておきたかったのです。




もちろん、この居心地の悪さに蓋をして伝えることはできるのですが、
そうなると自身の感情の流れを遮断することになるため、エネルギー
の流れを止めることになり、ワークショップの意味をなさなくなります。



結果から書くと、その大きな原因のひとつである子供にとっての
大事件が意識に現れ、それを通り抜けることはできたのですが、
とても意外なものでした。



そのことについて「それが起きたこを覚えている。つらかった。」
と認識は、していたのですが、そのことが人前で立つことを嫌う



イメージ(間違った結論付け)の原因になっているとは、
全然気がついていなかったのです。
完全ノーマークでした。



この凍った時間がとけだすとき、子供の私が感じると「死」に
直結するので分離させ感じないように圧縮していた衝撃が、憎しみや
恨み怒りのことばとして 溢れてくるのには自分でも驚きました。




同時に、その分離させていた痛みが磁場となり、似たエネルギー
・思念体を集合意識から引きつけていて、それが自身の人生に
影響を与えていた事にも気が付きました。



「あー、なんてことだろう。。。原因は私に在ったんだ。」
 痛みと感情をないものにして、恐れ分離を創っていた私に
と、心底思いました。



もちろん、子供の時には、それはそれで自身の安全を保つのに
有効なやり方で当たり前の反応です。ただその後、それをそのまま
凍らせて防衛となっていたのがまずいのです



今年は自身のローアセルフに責任を持ちたい、と願って
ワークしていますが、それでもかなり衝撃的な経験でした。



自身の無意識に押し込めていた憎悪、憎しみ、執念深さを表に出して
感じきること、責任を取ることは、なるほど大人の意識でないと
器が育っていないとできない、そう痛感しました。




BBの学生の頃は、この浮上してきた自分の憎しみに耐えられなかった
なと思います。持っていられずに他者に転移していただろうな・・・・ 
ため息・・・(>_<)・・くうっ