宇宙は何色 tefutefu38

日々の暮らしの中で

 フィールドの記憶  トラウマ 3


カフェからの眺め



続き・・その3

このストレイントラウマとしてフイールドと細胞の記憶のそばに
ある子供の意識の痛みもみつけました。



それは、拒絶される痛みです。
母は、苦しい事があると 一心不乱になって 鍋を磨き 台所を整え
片付けまくっていました。子供の目からは それはもうすごい迫力



今なら、怒りや辛さをそうして昇華していたんだろうな・大変だったんだなと
母を一人の人間として共感できますが、子供の私には、ものすごい壁をつくって
母が向こう側にいる、と、拒絶されたように感じてました。



置いてけぼりを食らったように感じた子供の私は、その二次的反応として、
自分は、人といるときは相手を優先しよう。とおもうわけです。



ここで、本当に大切なのは、拒絶されたと感じる痛さを充分に 感じる
ことなのですが、子供にはそれができないので、自分には愛される価値がないとか
いろいろイメージ的結論をつけて、痛みから自分を守ります。



そして、愛される為に周りから愛される自分と信じる自分を演じていきます。
演じている間に、本来の自分は痛みや愛とともに わすれられていくのです。



 こういう事って 日常の生活ではよくあることです。
そして、子供の性格構造によって 反応や対応は違ってきます。

・それでも、めげずに 母親にまとわりつく子
・母親の手伝いを進んでやる子
・母親は自分の仕事をしているから、自分も。とお稽古事や勉強をしている子
・自分のペースでいれて気にならない子



この性格構造による対応の仕方やイメージ的結論が大人になってからの対人関係にも
あらわれてくるのです。痛みを感じないように自分を守る為の防衛として。



この構造の上に、この人とは合うとか、相性がいいとか悪いとか、好きだ・嫌いだ
と人間関係が繰り広げられていきます。 



人格構造による防衛が、幻影だとしたら、それにそった反応の相性だとか好きとか
嫌いも 本質の愛から見ると幻・エゴのトリックだといえるのかもしれません。



それは、自分の認識の壁から外に出ると反転していくもののように思えます。
そして、壁から出たとき そこから本当の関係性や愛が始まるのではないかしらと
思います。 とても、とても、勇気のいることですが。




ちなみに、ルームシェアした友人は、彼女として 行動していただけです。
私が、自分の中で、細胞の記憶をもとにこれだけの反応をしていたのです。



いかに、人は自分の作り出した幻影の中に入りやすいか、
の解りやすい例だとおもいました。 笑



ルームメイトには、このプログに書く事を伝え、了解をもらって書いてます。